• 会社概要

    私たちの沿革を紹介します!

    Banzai Factory co.ltd

    Head office

    会社名:株式会社バンザイ・ファクトリー

    代表取締役:髙橋 和良

     

    設 立:登記 2005年12月

     (事業の研究に取り組むのは2006年6月から)

    資本金:70,000,000円

     (高橋和良、高橋美栄子、高橋知子で100%株主)

     

    工場(新住所)

    〒022-0002
    岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前7-7
    電話 0192-47-4123  
    FAX 0192-47-4128
    ホームページ  https://www.sagar.jp/
     
    (新住所に本社移転、5月1日から操業致しました。震災前の番地は101でマイヤ本店のあった場所です。なお、陸前高田市の旧工場は、ひころいちファーム「陸前高田市本社」さんが業務拡張で使っています。宜しくお願いいたします)
     

     

    社員数 :役員、社員、パート、全12名(2018年5月) 

     

  • 創業陣の紹介

    髙橋 和良

    CEO 代表取締役社長

    高橋和良 代表取締役 1961年10月 生まれ O型 蠍座 岩手県紫波郡矢幅町 出身

     

    最終学歴と経歴

    ●国立 三重大学大学院 工学研究科博士課程 満期退学

    ●大手コンピュータ二社の合弁会社(国策企業)にて開発。

    ●(株)リコー採用、関連会社2社に出向勤務

    ●(株)CSKのグループ企業設立に参加、創業時専務取締役就任

    ●医療システム開発会社を創業、M&Aにて引退

    ●バンザイファクトリー 創業・震災後に三陸に移住し今日に経る。

     

    経営力は無いので妹に任せて、商品の研究開発や展示会担当

    • 経験仕事内容
    • 汎用コンピュータ修理部門配属・オフコン・パソコンOA機器の営業部門、ソフト研究開発の経験を経て、流通VAN会社の設立に専務取締役として企画・参画。 Appleコンピュータ社のディベロッパー、医療情報システムを全国の大学病院、大規模病院に展開(大手電子カルテメーカー数社にインクルード)。カナダ に企業を設立し先端研究開発。M&Aして引退後、現在に至る。
      • 経営能力は無く、商品企画開発を主に担当。経営は義妹の高橋美栄子が担当し技術は高橋知子が担当。商品企画と技術・製造の仕組みを作る。趣味は映画馬鹿、弦楽器演奏、庭に木を植えて剪定して、汗かいてワイン飲む事。
    • 個人資産投資の大半と借金は、被災地に於ける「事業創出」の為に先行投資と「歯」の治療に使い果たしました。

    「感性工学会会員、産学連携学会会員」

    髙橋 美栄子

    COO 常務取締役

    高橋美栄子 常務取締役 1965年2月 生まれ A型 うお座 岩手県盛岡市 出身

     

    経歴

    国立 岩手大学 教育学部卒 <教員免許取得>

    ●(株)経調 4.5年、ソフトウェアー開発者

    ●(株)フォーラムエンジニアリングシステムにてソフトウェアー開発者

    ●医療システム開発会社・副社長。カナダのグループ会社(R&Dセンター)の社長を経験。

    ●バンザイファクトリーの常務取締役で本質的には経営者

     

    経験仕事内容

    (当初は事務仕事だったが、AppleComputer関連のインストラクションやDTP出力センター立ち上げ、その後開発全体・経営全体のCOO)、カナダ研究開発の子会社社長、上場準備の監査法人と監査(国際も含む)担当、14年後にM&Aを行い引退。

     

    ●本質的な経営者として現在に至る。趣味は映画三昧(凄まじい映画馬鹿)とフライフィッシング、花を中心としたガーデニング。一児の母で特技はピアノ。息子の名は高橋満田颯(まんたろう)でバイオリンと水泳が得意、走る等は全くダメ。満田颯の母は息子と湖梅のバイオリン練習の為にピアノ伴奏を日々している。

     

    髙橋 知子

    CTO  取締役技術開発責任者

    高橋知子 取締役 1978年4月 生まれ A型 おひつじ座 岩手県水沢市(現・奥州市)姉帯 出身

    情報技術国家資格取得者

     

    経歴

    東北電子計算機専門学校卒

    ● 高橋和良、高橋美栄子が経営する医療システム開発会社に新卒で研究開発センターに勤務。C言語、ORACLE、C++、ビジュアルCを使 い、全国の大学病院の画像サーバー、GEメディカル、IBM、日立メディコ、東芝メディカル、富士通との動画像サーバー、ドキュメントサーバー、医療機械 のサーバーシステムの研究開発を行った。

     

    ●(株)バンザイファクトリー創業に加わり、CAD、CAM、三次元スキャンシステムの開発をしながら、iPhoneケースの開発を行い現在に至る。

     

    得意技は料理、飲食店をやったら絶対にヒットすると言われ続けている程の腕前。ぬいぐるみや小さい造形デザインも商売出来る程。一児の母でフルートや料理が趣味。娘の名は高橋湖梅(こうめ)で特技はバイオリンと水泳、走りは全くダメ。絵が大得意。

     

  • 私達の歩み

    情報技術(IT)とは「情け」に「報いる」技術なのだ

    会社沿革

    2005年11月 

    高橋和良が盛岡市のアパート6畳間でオーナーとして創業し15年間経営していた、画像処理・医療ITシステム開発会社(日本国内とカナダ)をM&A によって大手企業に株式売却し現役引退(高橋和良45歳)。その医療システムは大手電子カルテメーカー数社のエンジンの要素として使われていました。

     

    M&Aの理由は二つあり、一つは故郷で衰退をしていた当時の木工業界、南部鉄器(この前後は倒産もあった)、漆(国内産の65%以上を生産)、それらのマテリアルを活用し、ITの力を使って商品化をして、故郷に役立ちたいと思った。そして医療システムのさらなる次世代メディカル・プレビューの研究開発に静かに没頭をしたいが為だった。

     

    このM&Aした会社設立には岩手県陸前高田市の恩人、米谷春夫氏と(株)マイヤ大船渡本社の役員さんの支援、岩手県盛岡市の製パン業である白石食品工業(株) の白石隆専務(現相談役)、白石茂社長(現会長)の支援、これがあって起業出来た経緯であった。

    引退後もM&Aした会社には一年程、2007年まで相談役として関わりました。この会社が開発したシステムは全国の国立大学病院、大手医療機関の過半数以上にインストールされました。

     

    2005年12月

    企業家を引退後に高橋和良、高橋美栄子、高橋知子、三人で岩手県盛岡市にIT木工を研究開発する会社を登記、仕事の立ち上げ準備に入る。株式会社サーガ。 岩手の木、岩手の漆、岩手の鉄器、ITと言うテーマで研究を始めた。(サーガとは武勇伝と言う意味で白石雄一氏(前職の会社に七年、現在白石食品社長)が命名)

     

    2006年5月

    小さな工房を盛岡市北松園に作る。三次元レーザースキャニング入力システム、三次元切削加工機、3D・CAD・CAMシステムの導入。システム開発、木材業社さんに丸太の調達と2007年冬発売を目指しての木地にすべく乾燥作業(一年半以上のシーズニング実験)に入る。

     

    2007年8月

    IT木工製品、「我杯」を発表。岩手の木、岩手の漆(トップモデルのみ)、南部鉄器蹄鉄装着し、商標取得、特許申請を行う。岩手素材にこだわった新しい伝統工芸素材の仕事を立ち上げた。岩手県ビジネスプラン・グランプリ大会にて「大賞受賞」、リエゾンiにて「受賞」。2008年より岩手県工業技術センターとの共同研究開発を行う。

     

    2009年8月末

    売上増加と研究開発の強化と業務拡張の為、盛岡市から車で一時間圏内(新幹線で30分)の風光明媚な国定公園、秋田県仙北市田沢湖畔・水辺隣接(国定公園内) に710坪、建物120坪のIT木工工場を建設。会社名を(株)サーガから(株)バンザイファクトリーに社名変更。夢だった湖畔での仕事生活が実現。我杯の販売を強化し売上も伸びて行く。

     

    2010年4月

    地元の食品名物を一つ作ろうと盛岡冷麺とは趣好が少し違う蜂蜜(隣がはつみつ屋さん社長の自宅だった事からコラボ)を麺に練り込み、紀州の梅スープで食べる田沢湖・蜂蜜冷麺を発売。秋田県の大手スーパーさん、関東の大手流通業さんと夏場のみ取引を始める。この時に製麺の技術を習得して行く。販売は好調。木工品の販売も順調に伸びて行く。穏やかに少しづつ仕事を立上して行く日々を過ごして行く。メディカルプレビューの概略も見えて来た時期になる。

     

     

    2011年3月11日 (東日本大震災・大津波来襲)

    東日本大震災・津波による故郷の岩手が大被害となる。高橋一家の今日に至れた大恩人や友人が、岩手県陸前高田市と大船渡市で被災した。

     

    2011年7月

    被災地にて研究開発用の工房建築を決心する。ここから5年間は研究開発に先行投資を続けて特化した商品開発をし、ブランド商品を探って行く事を家族と話し合う。 恩人の米谷春夫社長や友人と相談し、中途半端な支援では本質的な復興の役に立てない。と言う事で現在の場所から撤退し、工房を陸前高田市に新規建築を決意。借家も何も無い町全壊状態なので自宅の新築もして移住を決意する。三陸に新たなブランド商品を生み出すと決断。「一旦、全業務を停止する」。現在の工房、家、土地の売却、生命保険等の解約、これらを行なって、潤沢な先行投資で研究開発をする資金を捻出した。

     

    ※これにより木工品は一旦、仕事を辞める。自粛ムードからその後、2017年になっても我杯や木工品は売上を全く戻せず苦戦が続き、2018年現在も回復はして無い。

     

    2011年10月

    大船渡市末崎町の西館仮設住宅の集会所で「福おちょこ一本松」を作れるようにする為に、被災されたお母さんたち四人と指導員一人に木工品の塗り研修を始める。これが被災地での仕事創出の第一歩となった。

    同時に2012年に工場を陸前高田市の米崎町に建築が決まったので、その時に発売する新商品開発の製麺研究を田沢湖工房で始める。これからは数年、売上がほとんど無い状況が続ので個人資金で研究を続けて行く。

     

    2012年4月

    陸前高田市での工房敷地の手配を米谷春夫氏の尽力で陸前高田市米崎町の(株)マイヤ・アップルロード店と同一敷地内を分割賃借が出来る事になり、製麺と木工をする工房の建築をスタートする。

    同じく陸前高田市米崎町内の高台にあるりんご園の中に土地購入、陸前高田市に移住する為の自宅の建築準備に入る。

     

    2012年8月 (研究開発、製造、テスト販売をする工房が完成)

    IT木工と製麺が可能となる。現在使用機材の移動と新規購入の特注製麺機械を導入して操業の準備に入る。8月2日から被災した方を中心にパートタイムで雇用、総勢11人で製麺訓練と製造をスタートする。新製品の冷麺、「マーメイド冷麺」発売。震災から一年半、やっと事業を再開した。

    しかし大苦戦となる。陸前高田市の気温の変化と水質に苦しみ製麺の加水と生地コントロールが出来ず、製麺の質が悪く、クレームと返品が続く。実験販売、研究開発は失敗するが、浄水器を入れて細々と製麺も続けながら、木工の塗りもやり雇用を維持するが先行投資が続く。

     

    2012年8月中旬

    新築三年も経たない田沢湖畔工房を、土地購入時と総建築費の1/3以下の金額で売却(震災後は何もかも下落したので)。被災地への工場・自宅建築費の為に、資金捻出でさらに生命保険解約、定期預金解約、財産処分を行う。震災後の風評被害の為に資産売却は困難な売却となった。震災による復興の為に工事業者の手配にも苦慮し、自宅建築が遅れ、一 旦、岩手県遠野市・宮森村のコテージに移転。陸前高田市に毎日一時間かけて通勤をする。一緒に仕事を立ち上げる為に移住する家族の子供達を陸前高田市の保育所二箇所にそれぞれ入所させて出勤をした。

     

    2012年11月中旬

    星影のパスタ(断面星形の麺は国内初)、マーメイドパスタ(細麺)、2種類の新製品を発売。主力商品として期待する星形のパスタをリリース。

     

    レンズ風車・発電システムをバンザイファクトリー工房に、二基設置。風力発電の可能性を信じて、九州大学が発明したレンズ風車に取り組む。特に震災の教訓を活かし冬期間の大量発電を目指して運用に入るが故障続きで地域からのクレームが出て、数ヶ月止めて改善をして頂き、その後は順調な稼働が出来た。

     

    2012年12月1日

    陸前高田市に自宅完成。工場の建設や自宅建設、それらへの設備に関しては「被災企業や被災者では無い」、「震災時に被災県に居なかった」この事が大きく影響して「助成金や補助金」その他は申請するが条件には入らず、申請しても落選を続ける。その後、2018年まで震災関係の補助金、助成金は申請しても条件に合わず一切が落選。

     

    2013年6月

    星影のパスタと椿マーメイドバスタはソースに気仙椿油、椿マーメイド冷麺は麺に気仙椿油を使用。立ち上がり始めて忙しくなる。が、しかし後に地元産の油が潤沢に入らず苦戦し工場を止める日が多くなる。(産地にこの気仙地区と書いていたので、他県の椿油を使うと産地偽造になるので)。復興支援で油素材も企業が購入し、地元では貴重になり、弊社工場は立ち行かなくなり、商品の方向転換 をしいられる。ここでせっかく地元を思い、地元素材を中心に開発した製麺は大きく製造販売に出遅れる。

     

    2013年10月

    福おちょこ・一本松が、岩手県産品コンクールにて、二位の岩手県市長会会長賞を受賞する。震災からのスタッフは大喜び。製麺は伸びず、福おちょこの生産で雇用を維持する。

     

    2014年9月

    先行投資で研究開発した物の質感を高める為に、直営の実験店を盛岡市に作る。

    工場直営店の生パスタ専門店、椿の森Miniをオープン。沿岸出身で内陸にお嫁さんに来た人、その地に縁がある人、高橋一家の友人、父が陸前高田出身の若き店長が従えて開店。本社工場の製麺量が維持されて雇用を維持し、かつ麺の質感が一段と向上して行く。

     

    2014年12月

    一関にオープンしていた飲食店、麺の納品先が閉店し、製麺がドンと減る。経験の無かった食品開発には大苦戦が続く。

     

    2015年3月

    NTTドコモ社さんの販売サイト、Dクリエーターズさんで、弊社開発のApple社製のiPhone6用ウッドケース発売。約10ヶ月間の研究開発を経て、切削機械も3台増設し販売に乗り出す。しかし全く売れない。質感(技術)は評価されど美的では無かった事が理由。自社デザイン方向を見直す。(そもそもデザインも何も支援するとの大手からの提案で始めたが、スタートしたら二階に上げられてハシゴを取られて、自社デザインをした結果の失敗となった)

     

    2015年5月

    大投資した納品先(被災者が起業したパスタ専門店)がラーメン店に鞍替えする事になり、製麺製造はゼロに近い激減をする。直営店と東京のレストラン(銀座でワイン・京橋バンザイビーノ)さんのみに出荷となり、工場の稼働率が激減した。新規仕事創出にスピードを要求される状況となる。これを機に辞めて行くスタッフも出た。

     

    2015年6月

    星影のパスタ(半生麺)販売開始。お土産型の星型箱入り。新ソース開発。

     

    2015年7月

    「気仙かんろ煮」約2年の研究開発を経て実験販売開始。惣菜工房設置し保険所の許可を取る。漁師からも海産物がやっと仕入れ可能。イオン板橋店で販売してみて感触を掴み、商品名の変更、味付けをさらに良くする。

     

    2015年10月

    三陸甘露煮ギフトセット発売、復興庁のコンテストに応募し「大賞」を受賞する。

     

    2015年11月

    約2年間の研究を経て、盛岡市の直営レストランで好評となった椿茶を発売する。

     

    2016年3月

    三陸甘茶煮を高級ギフトとして発売。百貨店のお中元に採択される。大手企業の株主優待にも採択される。

     

    2016年4月

    椿茶の茶筒タイプ高級ギフト発売開始。ぐるなび主催の、秘書さんが選ぶ手土産コンテストに入選。特選100品目に採択されて、雑誌に掲載され、全国の書店で 売られる。投資をして、デザインはイギリス・ロンドンのスタジオに所属するデザイナーさんに頼む(以降の椿物の全デザインコンセプトを依頼している)

     

    2016年5月

    震災から9回目の助成金、補助金を申請するが、全落選。

    被災者、被災企業では無い、震災時に被災県に居なかった事と、三陸本社な為に優先順位に入れない(被災企業や被災者が優先)。さらなる 先行投資の為に保険解約して先行投資資金捻出し研究開発を続ける。

     

    2016年6月

    スマートフォン・ウッドケース開発を諦めきれず、飛び込みでドアを叩いて回った美大の中で、武蔵野美術大学だけが産学連携でデザインの共同研究開発を受けてくれる事になる。2015年7月から1年間の産学連携をしてくれた。三重大学と武蔵野美術大学とバンザイファクトリーの産学連携が始まった。その成果となるiPhone 6, 6s , SE,ユニバーサルデザインケース発売記念記者会見を東京ミッドタウン(武蔵美のスタジオ)で行う。武蔵野美術大学との産学協同研究の成果として製品発表。イギリスのダイソー博士 の手にウッドケースが武蔵野美術大学の学長から手渡される。

     

    2016年7月〜お盆まで

    三陸甘茶煮、川徳百貨店、東急さん、予測売上を超えて大量受注、徹夜、製品改良、仕入れの不足対応に駆けずり回る、その後は毎日残業で製造を続ける。新型の 真空パック機を二台導入し、何とか出荷を間に合わせてお盆を乗り切る。製麺、製茶のメンバー、総務も全員製造箱詰め出荷を行う。盛岡市の直営店から所長も 工場にて製造に入る。(工場が狭く、てんてこ舞いと、その後の海産物在庫の枯渇により納品の遅延が起きてクレームになり、三陸全体に広げて仕入れを行なった。

     

    2016年9月7日〜8日

    いわて特産品コンクール開催

    iPhone用ユニバーサルデザイン・ウッドケースかえで、二位の、「岩手県市長会会長賞」を受賞三陸甘茶煮が三位の、「いわての物産展等実行委員会会長賞」を受賞

     

    2016年9月17日〜18日

    最大規模のiPhoneケース展を、横浜レンガ倉庫にて開催され、そこに出店。好評を博す。

     

    2016年11月

    東北六県でのコンテスト、新みやげもの東北にて、椿茶の茶筒が「二位、優秀賞」を受賞。かつ椿茶ティーバックも同時に「佳作」に入賞。椿茶二品目が東北大会 で受賞した。これは工場にも、現地で支えて来てくれた方々も相当の喜びを得た。工場と店舗のスタッフは大喜びとなった。

     

    2017年1月

    助成金申請10回目にして当社「初」の助成金(震災関係では無い)が成立。iPhoneケースの販売促進で、展示会出店と、バンフレット作成で50万円獲得。やっと、助成金を頂けた。これにより素敵なパンフレット作成と展示会に出店出来た。

     

    2017年2月

    三陸甘茶煮・宝船、完成。2017年原材料の高騰と海産物の水揚げが減少している為、製造が困難になり苦悩のギフト製造となって行く。ホタテの価格高騰、取れない、アピオスが不作となり、作れば作るほど赤字になる単価にて仕事は追い詰められる。原材料の調達について苦労する。

     

    2017年6月

    大船渡市と共に申請した、総務省のローカル1000(復興関係では無い)、弊社と地元ワイナリに二社採択決定。大船渡市議会で可決。晴れて初の大型助成金(震災関係では無い)をお借りして、大船渡市のキャッセン大船渡・8街区に、新工場の建設を2017年9月末から行う事が決定。またもや先行投資として、金融機関から借金して新工場を大船渡市に建設する事となる。

     

    2017年8月30日

    衆議院議員、吉野正芳復興大臣、工場視察ご来訪。福おちょこを気に入って、米国への土産として買って行かれる。

     

    2017年9月10日

    日本おもてなしセレクションに「福おちょこ」入選。同年12月4日、年間特別賞入賞。

     

    2017年10月27日

    林野庁・補助事業、日本ウッドデザイン賞に、iPhoneウッドケースが入賞を果たす。

     

    2018年2月27日

    弊社の量産プロダクツ、三陸わかめの大黒柱、新製品で発売。2014年に気仙甘露煮から2015年三陸甘茶煮となり、ギフトから単品の切り出しとして、さらに味付け、製法を開発してデザインも一新して発売。

     

    2018年5月1日

    新工場落成、記念式典を行う。本社工場は大船渡に移転。

    岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前7-7

    (震災前の住所は字茶屋前101、大恩人の経営する会社、(株)マイヤ本店が震災前にあった場所(震災後に津波で倒壊)に偶然にも移転)

     

    2018年10月29日

    富士通株式会社と特許ライセンス契約の調印式を行う。スマートフォンのウッドケースに芳香剤チップ(富士通特許)を埋め込み、長時間に渡って香水やアロマの香りを維持出来る、女性に向けた新製品の開発をスタートする。(復興庁さんの主催する「結の場」にて出会い、三陸基金により支援を受けて成立しました)

     

     

     

     

     

All Posts
×